働くことから逃げ続けた分だけ、
末長く仕事をしたい

2016.09.05

発売以降、各国の吃音者に読まれている『吃音を生きる』。自身も吃音者であり、翻訳をした辻 絵里さんの生き方とは?

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ひとつやったら、ちょっとずつ繫がって、広がっていく。すごくびっくりしました。

その後、念願の留学が決まる。

「ずっとしたかった留学が、30歳の時に実現しました。

 留学するには、卒業校の教授に推薦状を書いてもらう必要がありました。吃音のことで“留学はやめておいた方がいい”と言われていましたが、最終的には書いてもらえました。推薦状の中に吃音のことも書いていただいたので、留学先に吃音のことを事前に知らせておくことができました。そのおかげで、初めての留学もそんなに不安でたまらない感じではありませんでした。」

 英語では日本語以上に吃音の症状が出た。

 

 

「困ったことにも、どうにもこうにも…どもるんですね。随伴症状がたくさん出ました。

単語と単語をぶつ切りで話すことしかできなくて、相手に何を言っているのか伝わらないから、大変でした。

 

 日本人同士だったら、どもっても最終的に伝わりますし、相手が言っていることは100%分かるから会話はなんとか成立します。でも、英語では、言われていることが100%確信をもてない中で、こちらもどもっているから、カオス(混沌)な状況でした。会話は、最後まで上達しなかったです。」

 そんな中、アメリカで思いがけずに、まさにやりたかった仕事に出会う。

 

 

 「アメリカ人の教授が、日本の昭和史に関わる研究をしていて、その研究助手をすることになりました。資料を探したり、それを英訳したりする仕事です。

 実は私、昭和史が好きなんです。昭和史に関わる仕事を英語でしたいと願いながらも、そうそうチャンスはないと思っていましたが、そのチャンスがたまたまやってきました。もうまさに、どんぴしゃりの仕事です。

 

 実は、それが現在も続いています。その教授から“これについて調べてくれ”と依頼がきます。これはコンスタントではないですが、ちゃんとペイされる仕事です。」

 33歳で卒業し、帰国。その後、パートタイムでデータ入力の仕事をしながら翻訳の仕事を始めた。

 

 

「帰国後、これまたどんぴしゃりな仕事に出会ったんです。

 ワシントンの国立公文書館に保管されている、戦時中の米軍機密文書を用いて執筆をされていたるノンフィクション作家の方がいて、その方に翻訳資料を提供する仕事です。

 

 “留学先でそういう仕事をしました”って、応募の際に提出した履歴書に書いたから決まったと思います。

 

 ひとつやったら、ちょっとずつ繫って、広がっていく。すごくびっくりしました。」

 

 

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