働くことから逃げ続けた分だけ、
末長く仕事をしたい

2016.09.05

発売以降、各国の吃音者に読まれている『吃音を生きる』。自身も吃音者であり、翻訳をした辻 絵里さんの生き方とは?

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最初の挑戦は怖かったけど、“挑戦してみたら次に続くのだ”と学びました。

 

小学生になる前から吃音でした。小中高では、授業中は普通の人が1〜2分で言えることを15分かかっていました。私がどもっていることは誰の目にも明らかなのに、自分としては、隠しているつもりでした。

 大学の英文科を卒業しましたが、就職活動をするのが怖かったので、大学院に進みました。卒業後も、仕事をする勇気がなくて。応募の電話ができなかったのでバイトすらしておらず、“翻訳の仕事を目指すために勉強をする”という体裁で、無職を20代後半まで続けていたんです。

 1度、データ入力業務に応募して、採用されましたが、小さな個人経営の会社だったので、”電話も取ってくれ”と言われて、頑張ったのですが、“どうにもちょっとこれは無理だ”と思って、結構すぐに辞めちゃいました。」

 本を読んでばっかりの生活が続いて、両親もかなりの負担と心配をかけたという。

「20代後半になって、吃音関係の集まりに参加することになって、吃音の人たちに出会って、自分より症状の重い方でも仕事をし、自立した生活を送っていることを知って、これは、“そろそろ自分も動かないとだめかな”と思いました。

 ”就職は正直難しくても、せめてバイトはしよう”と思って、やっと電話をかけて…ものすごくどもって大変だったんですけど、和菓子工場でのバイトが決まりました。

 梱包や仕分けの仕事だったので、私でもできるかなと思い応募しました。長い間(仕事が)できない状況から、初めてどもらない人たちに交じって、初日は“自己紹介をしてくれ”と言われて、はたから見てもかわいそうなくらいどもりました。聞いている人たちは“え、何?”みたいな顔をしていましたね。名前を言うのにも苦労して、ヒーヒー言って・・・気の毒になるくらいどもっていたと思います。」

 喋ることはない仕事と思って応募したが、やはり、喋りが必要な場面が出てくる。

「黙々とやる仕事だったのですが、ひとつの作業が完成すると、工場中に聞こえる声で、“検品をお願いしまーす”と叫ばないといけない。それで社員の人がきて、チェックをするんですね。この“検品”の“け”が出づらくて“けけけ・・”となっていました。

 不安に苛まれながら1日1日なんとか働いていましたが、初めてお給料が通帳に振り込まれた数字を見て、“自分も、働いてお金をもらえるんだ”と素直に嬉しかったですね。初任給は吃音の友達との飲み代に使いました。」

 働くことの恐怖心は徐々に和らいでいったという。

「その後は、某配送会社で仕分けの仕事をしました。黙って、“これはこっち”、“これはこっち”とやるだけの仕事だったし、先の仕事で大きなプレッシャーを経験していたので、それほど負担はありませんでした。

 だから、和菓子屋の仕事は私にとって“最初の挑戦”でした。怖かったけど、挑戦してみたら次に続くのだと学びました。」

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