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きつ女録

自分らしく、しなやかにたくましく

吃音女性のストーリー

 
 

働くことから逃げ続けた分だけ、末長く仕事をしたい

最終更新: 2019年11月25日

会社員/翻訳者

辻 絵里さん

発売以降、各国の吃音者に読まれている『吃音を生きる』。

自身も吃音者であり、翻訳をした辻 絵里さんの生き方とは?

2016.09.05


最初の挑戦は怖かったけど、“挑戦してみたら次に続くのだ”と学びました。

「小学生になる前から吃音でした。小中高では、授業中は普通の人が1〜2分で言えることを15分かかっていました。私がどもっていることは誰の目にも明らかなのに、自分としては、隠しているつもりでした。

 大学の英文科を卒業しましたが、就職活動をするのが怖かったので、大学院に進みました。卒業後も、仕事をする勇気がなくて。応募の電話ができなかったのでバイトすらしておらず、“翻訳の仕事を目指すために勉強をする”という体裁で、無職を20代後半まで続けていたんです。

 1度、データ入力業務に応募して、採用されましたが、小さな個人経営の会社だったので、”電話も取ってくれ”と言われて、頑張ったのですが、“どうにもちょっとこれは無理だ”と思って、結構すぐに辞めちゃいました。」

 本を読んでばっかりの生活が続いて、両親もかなりの負担と心配をかけたという。

「20代後半になって、吃音関係の集まりに参加することになって、吃音の人たちに出会って、自分より症状の重い方でも仕事をし、自立した生活を送っていることを知って、これは、“そろそろ自分も動かないとだめかな”と思いました。

 ”就職は正直難しくても、せめてバイトはしよう”と思って、やっと電話をかけて…ものすごくどもって大変だったんですけど、和菓子工場でのバイトが決まりました。

 梱包や仕分けの仕事だったので、私でもできるかなと思い応募しました。長い間(仕事が)できない状況から、初めてどもらない人たちに交じって、初日は“自己紹介をしてくれ”と言われて、はたから見てもかわいそうなくらいどもりました。聞いている人たちは“え、何?”みたいな顔をしていましたね。名前を言うのにも苦労して、ヒーヒー言って・・・気の毒になるくらいどもっていたと思います。」

 喋ることはない仕事と思って応募したが、やはり、喋りが必要な場面が出てくる。

「黙々とやる仕事だったのですが、ひとつの作業が完成すると、工場中に聞こえる声で、“検品をお願いしまーす”と叫ばないといけない。それで社員の人がきて、チェックをするんですね。この“検品”の“け”が出づらくて“けけけ・・”となっていました。

 不安に苛まれながら1日1日なんとか働いていましたが、初めてお給料が通帳に振り込まれた数字を見て、“自分も、働いてお金をもらえるんだ”と素直に嬉しかったですね。初任給は吃音の友達との飲み代に使いました。」

 働くことの恐怖心は徐々に和らいでいったという。

「その後は、某配送会社で仕分けの仕事をしました。黙って、“これはこっち”、“これはこっち”とやるだけの仕事だったし、先の仕事で大きなプレッシャーを経験していたので、それほど負担はありませんでした。

 だから、和菓子屋の仕事は私にとって“最初の挑戦”でした。怖かったけど、挑戦してみたら次に続くのだと学びました。」



ひとつやったら、ちょっとずつ繫がって、広がっていく。すごくびっくりしました。

その後、念願の留学が決まる。

「ずっとしたかった留学が、30歳の時に実現しました。

 留学するには、卒業校の教授に推薦状を書いてもらう必要がありました。吃音のことで“留学はやめておいた方がいい”と言われていましたが、最終的には書いてもらえました。推薦状の中に吃音のことも書いていただいたので、留学先に吃音のことを事前に知らせておくことができました。そのおかげで、初めての留学もそんなに不安でたまらない感じではありませんでした。」

 英語では日本語以上に吃音の症状が出た。

「困ったことにも、どうにもこうにも…どもるんですね。随伴症状がたくさん出ました。

単語と単語をぶつ切りで話すことしかできなくて、相手に何を言っているのか伝わらないから、大変でした。

 日本人同士だったら、どもっても最終的に伝わりますし、相手が言っていることは100%分かるから会話はなんとか成立します。でも、英語では、言われていることが100%確信をもてない中で、こちらもどもっているから、カオス(混沌)な状況でした。会話は、最後まで上達しなかったです。」

 そんな中、アメリカで思いがけずに、まさにやりたかった仕事に出会う。

 「アメリカ人の教授が、日本の昭和史に関わる研究をしていて、その研究助手をすることになりました。資料を探したり、それを英訳したりする仕事です。

 実は私、昭和史が好きなんです。昭和史に関わる仕事を英語でしたいと願いながらも、そうそうチャンスはないと思っていましたが、そのチャンスがたまたまやってきました。もうまさに、どんぴしゃりの仕事です。

 実は、それが現在も続いています。その教授から“これについて調べてくれ”と依頼がきます。これはコンスタントではないですが、ちゃんとペイされる仕事です。」

 33歳で卒業し、帰国。その後、パートタイムでデータ入力の仕事をしながら翻訳の仕事を始めた。

「帰国後、これまたどんぴしゃりな仕事に出会ったんです。

 ワシントンの国立公文書館に保管されている、戦時中の米軍機密文書を用いて執筆をされていたるノンフィクション作家の方がいて、その方に翻訳資料を提供する仕事です。

 “留学先でそういう仕事をしました”って、応募の際に提出した履歴書に書いたから決まったと思います。

 ひとつやったら、ちょっとずつ繫って、広がっていく。すごくびっくりしました。」



働くことから逃げ続けた分だけ、末長く仕事をしたい

キャサリン・プレストン著『吃音を生きる(原:OUT WITH IT)』を2014年に出版できたことが、何よりもハッピーなことだと話す。

「吃音に関する海外の本を翻訳することを目指していました。高校生の頃から、翻訳家になりたいという夢があったので、20代後半から、具体的に吃音に関する海外の書籍をアマゾンで調べ続け、2013年にキャサリンさんの『OUT WITH IT』と出会いました。

それまで読んできた本とは違っていました。女性の吃音者が書いたということが新鮮でした。自分が経験してきたことが著者の経験とかなり重なっていて、衝撃を受けました。

すぐに“この本を翻訳したい。すぐに企画書を書かないと、翻訳権を別の翻訳者や出版社が取っちゃう、早くしないと”って焦りました。」

念願の翻訳本を出した後も、自身に特に変化はなかったという。

「吃音に関する考え方も変わりませんし、環境でも変わったことはありません。しかし、海外の本を訳したいという想いが20代後半からあって、それが、39歳で遂に叶いました。

それまで翻訳の仕事はいくつかしていましたが、翻訳書として出すのは初めて。それも思い入れの強い吃音の本。私の最初の本です。感無量でした。この達成感を得たことが何より嬉しいです。」

今後も翻訳者としての意欲も見せる。

「会社勤めを続けながら、翻訳書を出していきたいです。20代に働くことから逃げ続けた分だけ、今後は、末長く仕事をしたいと思います。社会の中で、なかなか理解されづらい問題を抱え続けた当事者の自伝を翻訳していきたいです。」



◆Q&A

小さい頃からの夢を教えてください。

「小学生の頃は、女子プロレスの熱狂的なファンでした。学校では、どもるから強気になれなかったのでプロレスラーのように、強くなりたかったんです。

 中学生くらいになると、英語が好きだったのと、海外に興味があって、海外駐在員、特に新聞社の海外特派員になりたいなと思っていました。また、本が好きだったので、“出版社に勤めたい”とも思っていました。

 高校生になったら“どもってたら無理かな”とか、現実的に考えるようになって、自分が好きな英語を使いつつ、喋ることが求められる職業ではないだろうということから“翻訳家”という選択肢・職業が出てきました。」

昭和史が好きになったきっかけを教えてください。

「19歳の頃、江利 チエミさんの曲が唄う「カモンナ・マイ・ハウス」を聴いて。

江利さんは、10代の頃から進駐軍のキャンプでも歌われていたのですが、そこから戦中、戦後、と興味の対象が広がっていきました。」

翻訳したい本の企画書を作成するための作品は、どのように見つけますか?

「アマゾンで、“吃音”を調べると、レコメンドで、違うテーマなんだけど、似ているジャンル・・・どこかで緩やかにつながっているテーマの本が出てくるので、そこから作品を見つけることが多いです。」

ご自身の自己実現に、吃音はどのように、どれほど影響したでしょうか。

「アメリカでは、本当にどもって、どもって、思うように声が出ない3年間を過ごしました。喋れないから、読んだり、書いたりする力を伸ばす方向に力を注いだことが、翻訳の仕事に繋がったと感じています。

 せっかく留学したのに英語が喋れないのは、残念に思います。当時、一緒に留学していた日本人の留学生が、どんどん英語が堪能になっていくのを横で見ているのは悔しく、心底羨ましかったのですが、その分、リーディングとライティングは頑張ろうとした結果、翻訳の仕事をする基礎となりました。」

今後の目標(これからしたいこと、目指す姿など)や夢を教えてください。

「会社勤めを続けながら、翻訳本を出していきたいです。20代に働くことから逃げ続けた分だけ、今後は、末長く仕事をしたいと思います。」

吃音女性にむけてメッセージをお願いします。

「“女性吃音者”と一口で言っても、性格や環境も、ライフスタイルも違います。結婚している人、していない人。子供のいる人、いない人がいて、人それぞれです。“自分の望むものを含めた自分らしさ”を大切にして、伸ばしていきたい・・・と、私自身そう思っています。」




辻 絵里さん

会社員/翻訳者 


海外学術出版物の輸入販売会社に勤める傍ら、翻訳を行う。代表作は、キャサリン・プレストン著の「吃音を生きる」。

趣味は、昭和の歌謡曲を動画サイトで視聴することとランニング。

お気に入りの歌手は美空ひばり、江利チエミ。ランニングをすると、心身の巡りが良くなって、なんとなく話しやすくなるので、大事な電話をかける前に走ったりしていた。昨年の転職以降、時間がなくて走れていないのが残念とのこと。

『吃音を生きる』(原:OUT WITH IT)

キャサリン・プレストン著

吃音のある英国人女性による自叙伝(メモワール)


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