SLP※として、異国の地で様々なコミュニケーション障害をもつ子どもたちに寄り添う吉田さん。逃避していた過去から“ありのままの自分を受け入れること”にたどり着くまでのお話を伺いました。
※SLP(Speech Language Pathologist:言語聴覚士)
2016.12.03
吃音の症状があらわれたのは、3歳くらいの頃。それでものびのびとした子供時代を送っていたが、突如、予期不安に悩まされるようになる。
「中学から続けていた卓球で高校へ推薦入学しましたが、2年生の時に退部しました。突然…どもりの予期不安が来たんです。
それまで吃音は、学校、私生活において、特別に重度といえるような支障はなく、当時卓球部のキャプテンをしていて、“全員集合”の声かけもしていました。何の言葉か覚えていないのですが、部員を集める声掛けで、初めの音が出せない恐怖に、ある日ある時に陥ったのです。
そして、その日、部活を退部しました。吃音のことをコーチに打ち明けて、大きな胸で泣いたのを覚えています。
『マネージャーでも、話さないでもいいから、チームに残ってほしい』と言われましたが、暴露してしまった以上、そこに居ることはできませんでした。
これは私の家族はもちろん、未だに誰も知りません。今思うと、この時の退部という解決方法が、後に起こる職場や対人関係のトラブルから“逃避”する手段として、どんどん増強していったのです。」
商業高校をギリギリの成績で卒業し、様々な短期のアルバイトをした。
「吃音の予期不安が生じる度、『知られてはいけないものを知られそう』という恐怖に陥り、その直後に、その環境、関わっていた人から逃避しました。
この繰り返しで20代がダルマころがしのように過ぎて…。また、そのころから摂食障害が同時進行し、現実の自分を否定し続けました。『今のどもっている自分、太っている自分は本来の自分ではない、私の本当の人生は話し上手で、痩せてきれいになってから始まる』と。
吃音から、そして自分と向き合うということから逃げ続けていた長い歳月は、気が付かぬ間に様々な心の症状、恥、罪悪感、対人恐怖、不安等をどんどんと病化していったのです。振り返って言えることですが。」
転機となったのは、タイへの一人旅だった。
「落ち込んでいた時期に、『なんかやらなきゃだめだ』という強い意識が生まれて、タイにスキューバダイビングのライセンスを取りに行くことを思い立ちました。
その当時は、香港やハワイなどの海外旅行が流行りだした頃で、友人達は社員旅行で近郊の海外旅行へ行ったり、彼氏ができたり、雑誌で話題のお店の情報などを探索したりと、まさに二十歳前後の“青春”を楽しんでいるように私に見えました。友達が送るそんな“普通”の人生を羨ましいと思えば思うほど、自分の醜さ、惨めさに押しつぶされそうでした。
そんな時だったんです。旅行代理店を通して初めての海外旅行、それも一人旅を実行したのです。当時は『サンキュー』もろくに言えませんでしたが、現地の人々との素晴らしいふれあいがきっかけで、英語を勉強し始めました。」
英語は私に、新しいアイデンティティーをくれた。
「英語を習いたての頃は発音に対しての自意識が強く、またどもりを隠していて、学部卒業までの4年半、クラスで発言は一度もしませんでした(自慢ではないのですが)。
クラスの外で話す私の下手な、そしてどもる英語はそれでも、現地の人々に受け入れてもらえているように思えました。英語はまるで、自分ではない別人が演技をしているような、セリフを読んでいるような、そんな感じでしたね。(きっと外国語を学ぶ話す人は少し分かるでしょうか、、、?)でも実際は、どもっているというより、語学習得段階ならではのスムーズでない話し方、と周りからは思われていたんです。それでわかったんです、何年か後でしたけど、何故私が英語にこだわったか。英語は都合がよかったんです、本当のどもる私を誤魔化し、そして隠すのに。
この頃は吃音のほかに、摂食障害(これも当時は私だけの秘密)をも引きずっていました。日本では特別サイズか紳士ものしか着られなかったわたしでも、アメリカでは、女性のMサイズがゆったり!
結果的には、こんなユニークな環境が、新しい自分を演じ再形成していくきっかけとなったように思います。
そして少しずつ、英語を勉強したい、アメリカで勉強を続けたいという思いが高まっていったんです。それが逃避とはわからずに、、、、。」
逃げ切ることはできない。あるものをないなんて誤魔化せない。自分と向き合い、前向きに生きることを学んだのは、それらから逃げ辿り着いた外国、アメリカだった。
「そして、アメリカまで逃げました!26歳で初の渡米、大学のESL課程に1学期間滞在。その後、30歳を機に再渡米、短大のESL※からスタートし、その後4年制大学に編入。その数年後、再々再渡米。大学院でSLPを学びました。
※ESL (English as a second language:第二言語としての英語)
吃音を“障害”と認め、受け入れたのは論文の資料集めをしていた学部4年生の時。DMS(Diagnostic Manual and Statistics of Mental Disorders/精神障害の診断と統計の手引き、アメリカ精神科医学会より出版)の中で、吃音が障害の一つとして記載されていたんです。
公式な障害だと分かったときは、なんだか肩の荷が下りたような、そんな気がしたのを覚えています。
何故かって、吃音は、私の練習、努力不足でも、親のせいでも誰のせいでもなく、生まれつき持った症状であるということ、そして吃音は国境を越え、当事者は同じ思いを共感しているのだと。結局、日本に置いてきたはずの、『太っていてどもる惨めな私』と向き合わざるを得なかったんです。」
そんな過程を終えた今、あまり吃音のことは考えない。それは、“どもった私でも周りに受け入れられたという温かい経験”を積み重ねたことだという。
「人権運動の盛んなアメリカならではの、素晴らしいセラピーを沢山体験しました。特に吃音ワークショップでの、マイクを使ったパブリックスピーキングの経験は大きかったです。私の吃音の話をして、知らない人から『わーっ』て拍手をもらったり、『素敵だったわよ、あなたのスピーチ』と言われて泣いたり。これは吃音当事者やその家族、また彼らを支援するセラピストの前であったからできたこと。
『小さな成功を積み重ねて自信にしていく』ってよく言うけれど、その通りです。現在は、どもっても自分の意見を言いたいときに、言いたいように言います。自分を開示し始めた頃は、話すことがこんなに疲れるものだとは知りませんでした。会話という行動から避けてきた分、脳もお休みしていたんですね。意見を交換したり、共感し合ったりって、心の健康には不可欠。コミュニケーション能力の遅れをしみじみ感じます。」
吃音者であることを“バッチをもらえたこと”と例える。
「アメリカでは、“Suffering makes the bond stronger”とよく言います。統一民族の豊かな国からきた私は、苦しみでつながっている人権侵害を受けている人々を羨まく思っていました。―それは、私はどうもがいても頑張っても、彼らの中に入れない、共感しあえる要素がなかったからです。
そんな孤独を長い間感じ続けた今、様々な経験を通して吃音と向き合い、今私は言えるんです、『吃音者』という、会員制クラブ、しかも無期限!のメンバーのバッチをもらったって。そう、このバッチは、どもる人だけしかもらえないんです!だから、そのバッチを持っていない、その苦を経験したことのない人に対しては、よく言えば、自慢するような気分、悪く言えば変なプライドがあるような・・・。
だって、このバッチは本当に特別でお金で買うことも譲ることも、または勉強して手に入れることもできないんですもん。こんな風に前向きに言っていますけど、そう思えるのはきっと、私がその分野で当事者という肩書を持ちながら仕事ができる環境があるからかもしれませんね。」
ありのままの自分を好きになることが、なりたい自分になる第一歩だと話す。
「『吃音がなくならない限りは、○○○できない』、『吃音がなくなったら○○○できる』という考え方を長いことしてきました。
でも今言えることは、そのままの自分を受け入れて好きにならない限りは、今の自分を否定し続けて、いつになっても自分を大切にできないということ。
例えば、『何キロ痩せたらあれをしよう、これをしよう』と思ってダイエットをしても、その時の自分を受け入れて好きにならない限りは、どんなに痩せて外見がきれいになっても、中身は同じなんです。
“In one sense choice is possible, but what is not possible is not to choose. I can always choose, but I must know that if I do not choose, that is still a choice…”
(ある一方で選択は可能である、しかしある一方では選ばないということは選択としてあり得ない。いつでも選択することはできるが、選ばないということも、“一つの選択”という事実と責任を忘れてはいけない…。)
これは、私の大好きな哲学者サルトルの言葉です。不都合や不満、不幸せは、他人や環境のせいではなく、本人がそこに至るようあらゆる選択をした結果、と彼は言います。
例えば、臆病という特徴は、自分自身で“臆病な私”を作り上げ、演じ、維持している、だから責任は当人にある、と。
吃音に限らず、私という人間は、私自身が作り上げた生き物。もちろん望ましくない思いや経験というのもあったけれど、私自身がありのままの私を好きにならなかったら、誰が好きになってくれる?選択できる限り、私はこれからも自分を探し続け、好きになっていけるんです。」
◆Q&A
今後の自己実現、目標(これからしたいこと、目指す姿など)を教えてください。
「仕事に関しては、やりがいがあって、まだまだ挑戦することがあるので、今は転職は考えていません。
プライベートの目標としては、コミュニケーション力を改善することです、カウンセリングを通じて。表面的な吃音の症状や事実を受け入れることができるようになっても、それによって長年影響を受けた心の曲がりや悲観思考とかって、実はとっても根が深く、私という人間をしっかり作り上げてきているんです。
コミュニケーション障害の専門家として仕事をしていながら、実は自分もそのスキルがなくセラピーを受けている・・・なんか変だけど、私自身患者側の席に座っているからこそ、患者さんや生徒達といい関係を築いていけるかもしれないですね。あ、なんかこれって何年か前の私の夢だった気がする・・・!」
日本では言語聴覚士の養成課程では、あまり吃音について時間が割かれないようで、吃音が苦手な言語聴覚士も多いと聞きます。アメリカではいかがですか。
「アメリカにおけるSLP養成課程(修士課程)のなかに、吃音という題材はほとんど入っていません。
今年7月に行われた米国アトランタでのNSA※会議では、以下のことが紹介されました。例えば、吃音という障害は発声だけでなく感情、知覚と、さまざまな視野からの影響を治療しなければいけないと言われる中、“アメリカの75%のSLP養成修士課程は吃音という名目のクラスがない”と。しかしこの現実は、全く新しい報告ではありません。別の言い方をすれば、吃音という障害の知識がなくとも、SLP養成課程を修了し、国家資格を取れば、SLPとして吃音者を法的に治療することができるんです。
また、吃音に限らず、SLPの職務上、患者やその家族から障害をめぐる様々な相談に対応することも、セラピーの必須の一環であるにもかかわらず、“アメリカの90%のSLP養成修士課程ではカウンセリングというクラスは必須ではない”という調査結果も。これは、現場のSLPは、私も含め、その必要性を実感しているはずです。
そんなアメリカの現状でも、吃音のセラピーの現状として私の個人的な意見を言うと、言葉の発生の改善、練習だけでなく、吃音の知識、考え方、そしてそれらが本人の対人関係にどう影響しているか等、心の症状を癒し改善していくことも不可欠ということに、それができているかは別として、SLPの意識が徐々に高まっているように思います。これは、最近参加した、米国SLPの学会(American Speech-Hearing and Language Association)にて確信しました。」
※NSA(National Stuttering Association:言友会のアメリカ全土版)
「多くの吃音者は、“吃音をなくす”ことを第一に目標とし、その結果で治療/セラピーの価値を判断しているように思います。私も以前はそうだったように。
でも、“見える”吃音の症状って、ある意味美容の類に入るような気がするんです・・・例えば外国語のアクセントをなくすとか・・・。もちろんニュースキャスターはきれいにわかりやすく、スムーズに言葉を発しなければなりません、仕事ですから。でも一般人のコミュニケーションの根本は、伝える、理解する、応答する、というシステムなんです。それがお互いに分かり合えるのなら、どもったって、訛りがあったって、いいと思うんです。これも、アメリカに住んで感じたことですが、コミュニケーションをうまく取るということは、伝え方(how)ではなく、 伝える内容(what)を重視しなければいけないということ。また、個人的な経験からの例えですが、強い外国人訛りの英語を話す友人を私はあまりいい目で見ていなかったのですが、彼女はそんなことには全く気にせず、周りをとりこにするようなユーモアのセンスがありました。
訛ってても、どもっても、自分の思いをしっかり自信をもって言える人って、話がいがあってもっと話したいって思います。つまり、言葉のキャッチボールができる。あるひとは投げるフォームにこだわるでしょう。そしてあるひとは、めちゃくちゃなフォームで、でも楽しんでボールの交換をするでしょう。わたしは後者のようになりたいんです。今までの年月を振り返って、もし「吃音を受け入れるって、どういうこと?」って聞かれたら、こう答えます:カッコ悪い自分をカッコいいって思えるようになったこと、って。まだまだ、カッコ悪さは足りないんですけど(笑)。」
大切にしている言葉を教えてください。
「大切にしている言葉・・・いろいろあるんですけど、一つ選ぶとしたら、“尊敬”かなあ。9月から“実用する哲学”というクラスをとっているのですが、そこで紹介されたすてきな引用があります。
”Whoever is in front of you is your teacher./目の前にいる人誰もがあなたの先生です。”
様々な人種、文化、価値観、地位、教育の有無等が存在するアメリカで学んだことは、言葉の持つパワー。言葉は人を微笑まし、励まし、優しくする反面、罵り、傷つけ、命をも奪ってしまう、強力な道具だということです。そしてこれは、英語を第二外国語として使い話なす、どもりがある私だから分かること。そんな実体験の中で得たものは、謙虚さの尊さ。そう思うと、私の価値観はやはり日本にある、アメリカへ来てその美しさと大切さに改めて、気が付いた気がします。」
吃音女性にむけてのメッセージをお願いします。(伝えたいこととか)
「勇気をもって、心を開いてください。殻をひとつづつはがして、楽になると、人生より一層いろいろなものが見えたり経験できたりして楽しいですよ。」
吉田 ゆうこさん
SLP(言語聴覚士)
アメリカ・ニューヨークの市立高校でSLPとしてコミュニケーション障害をもつ子どもたちと向き合う。週末に時間があるときは、猫と戯れたり、手芸で小物づくりをしたりするとのこと。
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