経営者・代表(学校法人、企業)
鈴木 織江さん
学校法人と高齢者向けグループホーム運営企業を経営する傍ら、東京言友会の運営委員、女性の集いの代表として活躍されてきた鈴木さん。 21年6月、同言友会の会長に就任されました。
幼い頃から、吃音を理由に、家業の経営を継げないと思っていた鈴木さんが、言友会と出会い“本当に自分がしたいこと”に気づき、一職員から経営者となるまでのお話を伺いました。
2021.6.20.
お仕事について
学校法人の経営をしており、一校では専門学校で理事長として、もう一校は通信制高等学校で副理事長をしています。また、高齢者向けグループホームを運営する会社の代表を務めています。
中心的な業務は、財政面の管理で、事務的なことをしつつ、職員の採用もします。 社員の方の問題、学生やご利用者様の問題や要望に対処する方法を考えたり・・理事長や社長として、経営的な判断を日々しています。
吃音に関するところでは、東京言友会の会長、東京言友会の女性の集いの代表を務めています。
いつから吃音ですか?
記憶を辿ると、3歳ぐらいから、親が私の喋り方について、他の人と話していたなぁと覚えています。 吃音を意識し始めたのは、小学生のときで、真似をされたり、からかわれたりしたことで自分の話し方が普通とは違うということに気づきました。
授業の音読でどもって、はじめの言葉を、連発で5〜6回繰り返したことを、ずーっとみんなで合唱のように言われました。 そこで初めて、「え、変なんだ、そういう喋り方はやってはいけないんだ」と感じて、今度音読で指されたときは気をつけようと思ったことで、症状は余計きつくなったと思います。
小学校のときに、いじめを受けたことで、割と心の傷のようなことがあって、高校は寛容な雰囲気の学校だったのですけれども、吃音を隠そうとしていました。 発表する場面はできるだけ避けたし、むしろ、授業で指されると分かっている日は、学校を休むこともありました。
高校あたりまでは、吃音が先々自分のやりたいことに対して影響するとは思ってなかったのですが、高校以降は、できるだけしゃべらなくて良い職業、吃音の向きあわなくてすむ生活を今後送るにはどうすればいいかということを考え始めました。
高校卒業後は、経理系の専門学校で学んだ後、家族の要望を受け、大学で家政科系の学科に進みました。
祖母が設立した学校を両親が継いでいて、一人っ子の私が後継者になるよう幼い頃から言われていました。
「後継者として学校をやらなくちゃ」と頭では分かっていましたが、吃音のために「自分じゃ絶対無理だ」とも感じていて、一番の解決方法は、結婚相手をみつけて、相手にやってもらうことだと思っていました。
自分は夫の傍らで経理的な仕事はできるのではないかと思ったのが専門学校にいった理由です。
大学は、自ら希望したわけではなく、両親が経営する学校は洋裁学校を起源としていますので、どうしてもその学科に進学して欲しいと家族から言われたため泣く泣く進学しました。
他の方が就職活動しているのをみて、自分もやろうとして就職をしました。 就職活動では、面接ですごく苦労し、グループ面接もあるところはことごとく落ちましたが、売り手市場の時で専門学校のときに簿記一級を取得していたことが強みとなり数社から内定を頂きました。
面接のとき、喋り方を指摘されましたが、「緊張しています」と答え、明らかに吃音をもっているにもかかわらず、吃音であることは言えませんでした。
「吃音を意識しなければと治るもの」と理由もなく考えていました。 昔は、小さいお子さんに対し、意識させなければ治ると説もあったようですし、私の母もそれを信じたのでしょうか? 自分からは家族や両親に吃音の悩みを言えない雰囲気が家庭内にありました。
吃音で大変なことがあっても他の人に言えば、余計、吃音の呪縛から離れることができなくて、一生治らなくなってしまう。
本当にきつくて、人に「助けて」と言いたいときもありましたが、言えなかったし、言ってはいけないと思っていました。
だからこそ、ことばの教室や、言語聴覚士とか、一切の支援を受けておりませんし、そのようなところがあることさえも知らなかったです。
子どもの発吃がきっかけで自分の吃音と向き合う
就職後、しばらくして結婚しました。 結婚相手には、私の代わりに家業を継いで欲しいと思っていたので、お付き合いする相手を選ぶ時もそのことを意識しました。
妊娠したときは正直悩みました。
「自分の吃音が子どもに良くない影響を与えるんじゃないか。こんな吃音で母親としてちゃんとできるか」ととても心配で、素直に喜べないときが最初はありました。 このときも自分の吃音の悩みについては、夫にも両親にも言えない状態のままでした。
娘には、どもらないように接しつつ、言葉の発達が遅れないように気をつけて、絶えず娘に喋りかけ、スピーディーな発話の成長だけを考えていました。そういうことをやりすぎちゃったことが原因なのか、ある日、娘がどもりはじめました。
娘の吃音をどうにかしようと思ったのと同時に、「自分の吃音も一緒にどうにかしないといけない、これまで私は吃音から逃げていたんだ」ということに気づき、吃音と向き合うことを決心しました。
まずは、吃音についての知識がなかったので、最初は辞書で“どもる”や“吃音”を調べ、医学系の文献や医学書、言語障害の本と調べていくなかで、北里大学病院の耳鼻科で言語聴覚士の方がカウンセリングをしていることを知りました。
そこで受診した言語聴覚士の方に、”喋りやすくなることはあるが、基本的に吃音は治らない”と言われ、ショックでした。 しかし、何より、自分の吃音のことを誰かと喋れたことで救われたと感じました。
娘の吃音で受診したのですが、実のところ、受診するまで、吃音がほとんど治りかけており、カウンセリングの助言に基づいて接していたら、良くなりました。 娘の吃音は、一過性のものだったようです。
娘が吃音になったことがきっかけで、自分吃音との向き合えるようになりました。 もっと吃音について向き合いたいと思っていたところ、言語聴覚士の方と話している中で、吃音者のセルフヘルプグループである言友会について聞きました。
言友会との出会い
言友会との出会いは、私の人生でとても大きいものでした。 それまで、自分と同じように吃音がある人に会ったことがなかったので、「吃音があって、社会生活を送っている人がこんなにいるんだ」とびっくりしました。
人前での発表を避けていましたが、言友会では「吃音だからできません」は通用しなくて・・・なぜかというと、全員が吃音者だからなのですが・・そういう中で様々な経験ができました。
夫に任せるのではなく自ら経営を継ぐ道へ
言友会の活動を通し、他の方の生き方をみて、
「自分は家業を継ぐことはできない、夫となる人にやってもらおうと思っていたけれど、本当はそうではなくて自分でやりたかったんじゃないか、人前に立ちたかったんじゃないか」と気づきました。 また、同じ吃音者で自分のやりたいことをやっている人たちに刺激を受けて、「負けたくない」という思いで決心しました。
経営はできても、学生の前で喋ることは絶対にできないと思っていましたが、授業で教えることも経験として必要だと思いました。
考えた結果、パソコンを使う情報系の科目は、学生はパソコンを見るので、視線を気にしなくていい教科だと思いました。 パソコンのインストラクターの資格を取得し、一般の教員として働き経験を積み、管理職、経営の立場へ進んでいきました。
3年前に父がなくなったことが転機で、亡くなる直前に、父がやっていた専門学校の理事長とグループホームを運営する企業の代表を引き継ぎ学校以外の分野にも仕事の幅が広がりました。 20年前に言友会に入りその頃にカミングアウトもできるようになり、授業では、週ごとに新しい生徒に教えていて、毎回、「吃音という障害があるので、聞き苦しいこともありますが、聞き取りにくいことがあれば聞き返してください」と毎週50人とか100人を相手に言っていたんですね。
そのことで、当時はカミングアウトが苦にならなかったのすが、経営者の立場を継いだときは、そういうことが言いにくくなり、実際に自分の役素質よりも役割が大きくなっちゃって、吃音的な喋り方がおどおどしているように見えることが、すごく恥ずかしいと思うようになりました。 ・・・症状が出ることが恥ずかしいのではなく、症状が出たことで、おどおどしたりしてしまう事がある事が恥ずかしいと思っています。
どもっても言いたいことを言えれば良いのですが、吃音の症状に負けて言いたいことを言えなくなってしまうこと、10言いたいのに8しか言えないことが悔しい。 自分自身で嫌だなと感じるのは、緊張する場面で、自分自身を見失なっちゃって、言いたいことが分からなくなってしまうことです。 話の内容を考えることができなくなってしまうことが悔しい。 入学式や卒業式などの学校行事で代表者として挨拶をしないといけない場面は、今でも苦手です。
仕事のやりがい
通信制高校学校には、発達障害など社会への適応を難しくする要素がある学生さんも通われています。学校での教育を経て、自信がつき、手に職をつけ、就職されていくことに対して社会的な貢献を感じています。
また、グループホームでは認知症のご利用者様もいらっしゃいますが、みなさん生き生きとされていて「認知的な機能が良くなって、明るい生活をしている、入ってよかった」とご本人やご家族が喜ぶ姿をみていることをやりがいを感じます。
学生さんやご利用者様に感謝されたり、幸せそうな姿を見ることが私自身の幸せになっています。
思えば、自分自身吃音に苦しんできた経験がある事で、社会的に弱い立場の人に対するサポートに熱心になれますし、そのような経験をしてきたからこそ今の仕事にやりがいを感じることができるのだと思います。
今後の目標
幼い頃から、自分の力だけで収入を得ることは難しいと考えていて、自分自身の老後は最悪だろうって思っていました。 現在、自分自身で収入を得ることができ、会社の経営ができるようになって、自信を得たことは確かです。
最後まで、自分の責任で生涯を全うできればといいなと思います。 吃音をもちつつも、人に頼ることなく、吃音に負けない人生を送り続けることが目標です。
吃音女性にむけてのメッセージ
私自身、小さいときから、吃音にとらわれ色々なことを諦めて来た事で、ずいぶん時間を無駄にしてきたという後悔があります。 今は、日々、吃音に負けないで、やりたいこと、必要なことをやっていきたいなと思います。
吃音だから挑戦したいことをやらなかっと後悔するよりも、どもったけどやってよかったと思ってほしい。 吃音をもちつつも、その日の日を精一杯生きて本当にやりたいことをやっていなと思います。
Q&A:
東京言友会の会長、女性の集いの代表をされています。
20年ぶりに東京言友会に行ったとき、会員も運営メンバーも少なくなっていてとても驚きました。
私は、言友会で吃音をもつ人と出会い、自分自身と社会に向き合えるきっかけになったので、同じように吃音で悩んでいる人が言友会に来たときに救われて欲しいと思っています。
女性の集いに関しては、当初、女性だけで集まる有効性が分からなかったのですが、吃音をもつ女性は男性よりも少なく、中には、同じ女性がいないと、参加しにくいと感じる方もいらっしゃいます。
そのような方に言友会活動を行うきっかけとして参加してほしいと思っています。女性の会は各地で開催されることがありますが、やる人がいなくなり、活動が無くなってしまうことがあります。何十年も続いてきた女性の集いも東京言友会として続けていきたいと思っています。
趣味はなんですか?
1人で本を読むことが好きで、1日で1冊読んだりします。本当のことを言うと、人見知りな性格なこともありゆっくり本を読んで過ごしたいのですが、実際は、夫と買い物や食事をして過ごすことが多いです。
鈴木 織江さん
学校法人を経営(専門学校理事長、通信制高等学校で副理事長)する傍ら、高齢者向けグループホームを運営する会社の代表を務める。
東京言友会の会長、東京言友会女性の集いの代表として、吃音者の当事者活動にも精力的に活動されている。
6月24日着の全言連ニュース№163で鈴木さまの原稿を拝読しこのサイトを開いています。
私は石川県白山市の70歳の個人事業主でいしかわ吃改研の代表です。
皆さんのご活躍を祈ります。