吃音者であり、セラピストである

最終更新: 6月19日

言語聴覚士/臨床心理士

南 めぐみさん

吃音をテーマに長年研究しながらも、自身の吃音を受容するには時間がかかったという南さん。

ご自身の“吃音がある自然な喋り方”を受け入れるまでと、小児の吃音治療と向き合う今のお仕事についてお話を伺いました。

2020.12.5.




吃音を自覚したのは小学生の頃です。

中学年くらいの頃、放送委員になりました。

放送委員には、下校の時刻に、校内放送で詩を朗読し、最後に「さようなら」と言う仕事があるのですが、マイクを前にして言葉が出なくて、上級生から「やりなよ」って強く言われて怖かったです・・できたのはできました。

その時に、「喋るときに緊張するな、声が出ないな」ということを感じ、難発の症状を自覚しました。

当時、吃音で困っていたのは、この放送委員の仕事だけで、授業の音読などは困らなかったです。

中学校に入ると、学年集会で発表するような場面があって、うまく喋れずに男の子にからかわれたり、お友達との会話でも言葉が出ないので、「ちょっと待ってね」と言って、言葉が出るまで待ってもらったりしていました。

当時、一旦喋りだすと大丈夫なのですが、言葉を最初に出す時に、出にくかったです。

対策として、言葉が出るまで待ってほしいことを伝えて、言えるタイミングで喋りだすことで問題はなかったですし、周りのみんなはそれを受け入れてくれていました。

高校もそんなに症状は変わりませんでした。

女子バレー部のマネージャーをやっていて、体育館を借りるとき電話申込したり、練習試合で相手の高校のマネージャーと連絡を取り合ったりしたりする時、嫌だなぁと思いながら、なんとか3年間やっていました。

そこで、吃音のために嫌なことは言われたことはありませんでした。


友達は、私の話し方を真似するんですね・・・私、「えっとー」とか、よく言うので、そのマネをされるのですが、いいようにいじってもらったと思っています。(笑)

友達には恵まれていたと思います。

実は、父が吃音で、伯父もどうやらどもってる、従姉妹も「私ちょっと声が出ない」と言っているから、吃音が多い家系なのかもしれません。

それもあって、吃音は身近なもので、あまり話題になることはありませんでした。

母は私の吃音を気にしたと思いますが、父がどもっているから「こんなもんだ」と思っていたと思います。


今振り返って思うのは、父や伯父に吃音があったこと、そして二人とも社会的によく発言する人だったことは、私の吃音との付き合い方にプラスになっていたと思います。



“吃音”との出会いと、症状が悪化した大学時代


当時、” それいけ!!ココロジー”(1991-1992)というテレビ番組があった影響で心理テストがブームになったり、不登校が社会問題になっていたりしていたことから、心理学に強い関心を持ち、大学は心理学科に進みました。

障害児心理学の分野で、言語障害の一つとして吃音があり、自分の喋ることが難しいのは、吃音という言語障害だと初めて知ったんです。
それを知ってから、症状が悪化したんです。

それまでは、どもっても大変じゃなかったのですが・・・それまでできていた音読が、授業で当てられて読めなくて、「先生読めません」って言ったこともありました。

文化系サークルに所属しており、活動では、話し合いをよくするのですが、私はその場に居るけど議論には加わらず座っているだけでした。

電話をかけることもあったけど、随伴症状もすごく出て、体をバウンドさせないと声が出ないという状態でした。

吃音を言語障害と知り、大学には特殊教育を専門とされている若葉陽子先生がおられ、吃音の研究もされていたので、
「わたし、吃音をやんないといけないな」と思いました。



吃音を受け入れられない葛藤と、重くなる症状


そこからも結構辛くて、自分に吃音があるって受け入れられなくて、受け入れられないけど、吃音を勉強したいという葛藤をしていました。

研究のために、小学校の言語障害児学級に行って、吃音がある児童に意識調査をしました。吃音について気がついているか、気がついているとしたらどの程度自覚しているか、嫌な経験をしているのか、といったことを一人ひとりインタビューをするんです。

電話が苦手だったので、調査のために小学校に電話かけないといけないのですが「まーまー」としか言葉が出なくて、「喃語(乳児が言語を獲得する前に発する意味のない声)みたいだわ」と思ったことを覚えています。

みんな普通にできていることが、なんでこんなになっちゃうのかな・・・、身体はバウンドしちゃうし、喃語みたいなことばばっかり出てきちゃうし。
精神的に辛い状況に直面させられながら、目の前の子どもと向き合いながら、余計に吃音が酷くなっていました。

高校までは、ただただ喋りにくいと思っていた、それは、一時で持続しなかった。その場面が終わったら、気にしていなかった。だけど、“吃音”とネーミングされたことを気にするようになったのかな。

その経験は、私の中ですごく強かったのだと思います。

心理学を専攻すると、臨床心理士の資格取得がゴールになり、大学院進学が必要です。大学院では「もう吃音はやりたくない」って思って、違う大学に進んだのですが、結局、そこでも、吃音をテーマに研究することに決めました。

大学は変わりましたが、引き続き、若葉先生に指導してもらい、子どもたちのインタビュー調査をして、学部の時のテーマを更に掘り下げるような研究をしました。“どもたちは吃音をどう感じていて、年齢と共に、どう認識が変わっていったのか“という内容です


成人の人にも話を聞きたいと思って、近くにあった北海道言友会に入れてもらい、インタビューに協力してもらいました。


その時を振り返ると、言友会に入っても、「自分は吃音者じゃない、調査させてもらってるだけ」という意識があったと思いますが、北海道言友会の方には温かく迎えてもらいました。

近い年齢の方も多く、一緒に札幌雪まつりに参加させてもらったりして、とてもありがたかったです。



臨床心理士としての仕事


大学院で研究をする傍ら、心理士として病院に週2回の実習生のような形で社会人的な経験をさせてもらいました。

精神科の患者さんに心理検査をとったり、会話をしたりして、診療の助けになるようなことをするのですが、そこでは学生ではなく、プロとしての仕事が求められていたので、吃音がハードルに感じました。

去年の学会(2019年日本・流暢性障害学会第7回大会)の女性の集いでも、吃音のために検査がとれなくて、患者さんに辛い思いをさせられた、という体験談をされていた方がいらっしゃいました。
そういう心理検査では、文言を間違えてはだめなので、吃音者には難しい場合があります。

私は、とても緊張しながら・・・自分でも顔を真っ赤にしながらしましたけど、幸いにも私は患者さんから嫌なことは言われたことはなくて。

とあるとき、検査が終わった後、ある患者さんが手紙をもってきてくれて、「先生に」って。


そこには、短歌みたいに「僕の話をきいてくれてありがとう」といったことが書かれていました。私は検査は上手くなく、喋れていないと思っていたのに、患者さんは話をきいてくれて嬉しいというリアクションをくれて、それには元気をすごくもらいました。

大学院を修了し、臨床心理士の資格を生かし、東京でスクールカウンセラーとして働き始めました。

若葉先生とのご縁も続いたので、心理職として働きながら、土日は若葉先生の研究のお手伝いさせてもらっていました。



言語聴覚士の道へ


事は不安定だったので、いろんな要素を踏まえた上でした決断でした。

就職活動では、小児分野を希望していたところ、幸い求人があり、それ以来10年程言語聴覚士として働いています。

そのころ、吃音は良くなっていっていました。

心理士として働いていた頃、研修会を担当しないといけなくなり、ある時、大失敗しました。

その時は、言葉が出なくて、研修会として成り立たなかったような気がします。
思うに、そうやって社会人として、仕事するようになってから、喋るのが難しくてもやらなきゃいけない場面があって、ちょっとずつ慣れ、免疫がついてきた気がします。

言語聴覚士になってからは、養成校の授業を短期で吃音の授業をさせてもらうことがありますが、最初と比べると、ストレスを感じなくなっています。




言語聴覚士として小児の吃音治療と向き合う


現在は小児科のクリニックで働いています。ここでは、“療育”をしており、言語聴覚士と、作業療法士、理学療法士と、臨床心理士がいて、それぞれのリハビリができます。

吃音の子もきます。

セラピー(治療)において大切にしていることは、その子が楽しく過ごせることが一番だと思っています。

私は、まず子どもの発達を学び、その後に言語聴覚士を目指したので、より強くそう思うところがあるようです。

大人も嫌なことしたくないと思いますが、子どもはもっとそうで、したくないと思ったら、とことんしたくないです。
どんな子でも、楽しくできる方法があって、それを見つけたいという想いが根底にあるような気がします。
これだったらずっとやっていけそうな仕事にめぐりあえたなと思っています。

吃音の子は、自分にも吃音の経験があるので、本人の気持ちもすごく考えるところがあります。

セラピスト(治療者)は言葉の治療をします。治療が進むということは流暢になるっていうのが一つの指標になる。それは、その子にとってゴールなのか、ということを考えないといけません。

子どもは、「ここに連れてこられたから、自分の喋り方に問題がある」と気が付きます。連れて来られなかったら気が付かなかったという子もいるし。連れて来られたから、よくなった子もいる。

どもりながらも、その子のスピーチの流れで、でこぼこしながらも、とどまらずに、つらつらと喋れている。

一方で、親御さんのニーズもある。いやいやこれどもっているよ」、「家でもどもるんですよ」っていう反応をされる親御さんもおられたり。

治療としては、喋りの滑らかさが指標としてあり、ある程度の水準までいくことがゴールになります。「つまるのが、全体の何%以内」とか。

そこが、迷いというか、とまどいです。

もちろん、喋りにくい、苦しい、というのは、本人は子どもであっても苦しいと思うので、取り去ってあげたいと思いますが、吃音がある自然な話し方っていうのは、治さなくていいのかなとも思います。

私は、家では1〜2回の繰り返しで喋っていて、それが私の自然な喋り方です。なので、その多少の吃音が出て喋っているのは、「マルだな」って自分で思っています。 娘が小学生になった頃、「お母さん、同じこと2回言ってるよ、1回でいいの」って私の話し方を注意してきたことがあって・・・。

「あっ・・・」と思って、そうしないよう心がけたら、家で流暢になったんです!

その2年後に娘の前でうっかりどもったときに、娘は何も気にしなかった。それから、頑張ることをやめて、またどもることにしました。
ほっとしたんです。
娘に注意されながら、気にして話していた一定期間は、振り返ると、とても窮屈でした。

流暢さを追求することは、身を以て体験したのですが、それはそれで何か違和感がある。 言語聴覚士として、まだまだ迷いながらやってますって感じです。

吃音をやってきたから、自分で納得できる仕事に出会うことができました。


吃音の受容

吃音の症状は軽くなっていきましたが、2018年に開催された吃音・クラタリング世界合同会議(以下、「国際会議」)※まで、吃音の当事者活動とは一線を引いていた自分がいました。

言友会に行くのはとまどいはあったし、当事者という認識はしたくなかった。

「セラピストです」って言うのは、ためらいはないのですが、「吃音者である言語聴覚士」と言うことはためらいがある。

プライドなんでしょうか・・・そういうものがあったと思います。

自分に吃音があることを認めたくないという気持ちがずっとあったのですが、2018年の国際学会で、なぜか知らないけど、「当事者の集まりに行ってみよう」と思えたのは、自分の中の変化だったと思います。
「私ってそうなのよ」って言える自分になってきたのかと。
結果、当事者の集いに出ることが自分にとってプラスだったんです。

集いのような場所に身を置くと、自分が吃音があるよねってすんなりと納得できたし、女性ならではの、自分たち少数派の中の少数派※※の声を出していいんだよって話があった。そこは大事にしなきゃいけないし、自分も発信したいなと思います。

集いをきっかけに、この“きつ女録”のサイトを知り、吃音女性のインタビュー記事を読んでみて、面白かったんですよ。

「吃音で辛い」ということはありつつも、そうじゃないところもある。
そのことを改めて気づかされましたし、他の人にも知ってほしいと思います。

※2018年7月13日から16日の期間に広島国際会議場で開催された、ISA(International Stuttering Association)、 IFA(International Fluency Association)、 ICA(International Cluttering Association)、合同の国際会議。日本吃音・流暢性障害学会がホストとなり全国言友会連絡協議会も参画した。各国の吃音当事者、臨床家、研究者が一同に会する初の試みとなった。

the One World, Many Voices: Science and Community World Congress in Hiroshima 2018

※※吃音の有病率は約1%、男女比はおよそ4:1(国立リハビリテーションセンター研究所webサイトhttp://www.rehab.go.jp/ri/kankaku/kituon/)



目標(これからしたいこと、目指す姿など)

自分のことを一言で言うなら、“まとまらない人”です。(笑)

これからも仕事も掛け持ちしたり、吃音をライフワークにして抱えていきたいと思います。

研究の部分では、師匠の若葉先生は、治療が終わった方のまとめは必ずして発表していました。まとめることで、知見になり、自分の勉強にもなりますので、私もそれをなるべく見習おうとしています。

また、海外の吃音関連の動画や記事を翻訳して皆に共有することも続けていきたいです。

この間、セネガル出身のフランス人吃音者が、セネガルとフランスにおける吃音の捉えられ方の違いや、自身の吃音症状の変化等について紹介したドキュメンタリー動画※を翻訳し共有しました。

両国の文化の違いや、動画に登場する吃音者の「吃音をなんとかしなければと思わなければ楽に喋れるようになった」という経験談は、とても新鮮でした。


治療法は熱心に研究されて、新しい試みがなされていきますが、どうしても啓蒙活動って、なかなか後回しになりがちなので、できることがあれば、積極的にしていきたいです。

※Acceptation - Le bégaiement au Sénégal et en France. Stammering in Senegal vs France

https://www.youtube.com/watch?v=Rch9HRrcVgY&feature=youtu.be

吃音以外では、今、日本語教師になるための通信教育を受けています。

子どもの頃、大きくなったら外国に留学したいと思っていたのですが、あっという間に学生の期間が終わってしまっていました。こうなったら日本語教師になって、海外にいきたいなって思ったりしたします。仕事をリタイアした後になりそうですね。




吃音女性にむけてのメッセージ


女性っていうだけで、いろいろ我慢していたり、自分を縛る部分があると思います。女性らしさ、女性はこうあるべきとか・・・。

女性も、一人ひとりいろいろあって、いろんな人生がありますよね。


吃音もそれに絡んできますよね、人生の選択とかで・・自分は今まで、生きてきて、近年やっと一山越えることができたような気がします。


子育ても、仕事も自分なりのやり方が見えてきましたし。

若い時と比べると、自分に自身がもてるようになってきたのかなと思います。
「どもったけど、大したことじゃなかったな」という心境になったら楽ですね。

それでも笑われたら嫌ですけど!







Q&A

時間がある時は何をされていますか?

ダンスに励んでいます、あと、ボルダリングです。ボルダリングは子どもがやったのが楽しそうで自分もやってみたら楽しかったので続いています。

昔は文化系だったのですが、今は体を動かすのが楽しいです。

子育てに関する吃音のエピソードを教えてください。

“吃音あるある”かもしれませんが、子どもの名前は言いやすい読み方を考えました。

南さんのように吃音者で言語聴覚士の方もいらっしゃいます。

私は自分の吃音が受容できるまで時間がかかったので、そういう状態で当事者のケアをするのは本当に辛いと思います。
辛い気持ちでセラピーは難しい、やっていくうちに自分の吃音をうまく消化できるといいなと思います。
私は今でも吃音の受容できてるかと疑問に思う時がありますが、過去の自分と比べてみると、大丈夫って思えます。
20歳頃に吃音と向き合い始めて、それから20数年くらい経ちますが、時間ってかかるんだと本当に思います。
また、何歳になっても自分に新しい発見や変化はあり、希望にも感じます。

おすすめの本はありますか。

「ゲド戦記 I 影との戦い」です。

学生のころ、吃音と自分を考えるときに背中を押してもらいました。

主人公である魔法使いのゲドが、自分が呼び出してしまった得体も知れない何か怖いものから逃げていく話です。怖いものはずっとゲドを追いかけてきて、どんどん大きくなってきます。あるとき、ゲドは、「はっ」としてそれを逆に追いかけたら、それは自分の姿だった。抱きしめたというところで、物語は終わります。

学生の頃付き合っていた夫がもっていた本で、本人が気に入っているということで、私も読んでみました。

負の部分を回避して逃げたくなっていた自分とゲドが重なるところがあり、「逃げちゃだめ」とすごく勇気づけられ、これで卒論を乗り切ることができました。

夫さんには吃音のことを説明していますか?

夫は、学生の頃のサークル仲間で、当時私は吃音の状態が悪化していて、出会った当初からどもっていました。

私のことをどもる人と分かっていて、付き合ったということなんです。吃音の辛さは理解してくれていますが、若いころは「私の辛さは私にしか分からない…!」と不満を訴えたこともありますね。



南 めぐみさん


言語聴覚士/臨床心理士

大学の授業で自身の喋り辛さが吃音であると知り、吃音を研究テーマに取り組む。大学院卒業後、臨床心理士として働く中、言語聴覚士の資格取得を決める。現在は小児科のクリニックで小児吃音治療と向き合う。